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防災と自然

更新日:2023年1月23日


「現代人は全員、一時帰宅中の入院患者なんです」



みなさんは、養老孟司(ようろう たけし)という方をご存知でしょうか?


医学博士で解剖学者、白髪で猫とタバコが好きなおじいさんです。










心の問題や社会現象、教育についてなどを、脳科学や解剖学などの知識を交えながら解説されています。


著書『バカの壁』はベストセラーになりました。


この本のタイトルだけは知ってるって方も多いんじゃないでしょうか。


冒頭の言葉は、この養老先生のものです。



僕がこの方を知ったのはYouTubeに上がっている「養老孟司-未来を変える選択【未来授業2012】」という、


これからの未来を担う大学生に向けた講演の動画からでした。


ベストセラーの本からじゃないんかいって感じですよね。


いや、本もその後ちゃんと読みましたよ?


でも、養老先生のあのしゃがれ声で目からウロコな論が展開されていくのが良いんですよ。



僕が動画や本を見て思う、先生の思考の根底にあるものは


「自然」


です。


先生が人々の心を、社会を、教育を語るときに必ず出るのが「自然」なんです。



先生は解剖学者です。


日々、死者の体と向き合っておられました。


「死」がある意味日常だったわけです。


そしてある講演でこんなことを仰っていました。


「現代人は全員、一時帰宅中の入院患者なんです」


ドユコト?ですよね。



こう解説されていました。



昭和初期くらいまでは、”出産”と言えば自宅出産で


産婆さんが妊婦さんのいる家に出向き、出産の手伝いから産後のケアまでこなしていました。


そして、”死者の看取り”も自宅でなされていました。


この時代が舞台のドラマなんかで


畳の部屋に敷かれた布団に横たわる年老いた男性


それを囲んで声をかける家族


脈を測る訪問医


こんな場面を目にしますよね。



要するに、人は自宅で生まれ、自宅で死んでいったわけです。



現代はどうでしょう。


これを読んでいるあなたも、周りの方もみんな病院生まれではないでしょうか?



そして、どこで亡くなりますか?


そう、病院です。


病院で生まれ、病院で死んでいくわけですね。



それを表したのが


「現代人は全員、一時帰宅中の入院患者なんです」


という言葉なんです。



だからなんなん?



そう思いますよね。


別にそれでいいじゃん、と。



そう、生と死が自宅から病院に場を移したのは、


法整備や公衆衛生の問題からであり、


そうすべきだからしたわけです。



ですが、そこからある問題が生まれました。



「生と死が身近にない」



隣の家から産声が聞こえる、なんてシチュエーションないですよね。



先生に言わせれば、これは「不自然」な状況なわけです。


「自然」には当然、生と死が溢れています。


ですが、現代を生きる我々はそれを感じることができません。



この不自然さは、生と死という重い問題に限った話ではありません。



今、あなたの目につくところに「自然」はありますか?



地方にお住まいの方なら、遠くに山や海が見えるかもしれません。


では身近には?



僕は東京在住経験があるので思い返してみると、


目に入るものの99%は人工物でした。


視界の大半はビル、地面はコンクリート、移動は電車、街路樹も人の植えたもの。


野生生物なんて、神奈川の端っこから来る小田急線に鹿が侵入した


なんてお知らせを電光掲示板で見るくらいです。


(バナナマン日村さんは六本木でイノシシを見たって言ってラジオで話題になりましたが)


地方でも、ここまでではなくても自然は少ないんじゃないでしょうか?



先生は自然のものと人工のものとでは、


見たり触ったりしたときに脳が受ける刺激が全然違うと仰っています。


確かに長野の自然の中にいた幼少期を思い返すと、


草木や虫を観察したり触ったりしていたときの、脳の喜び方はすごかったなと思います。



これは趣味のゲームをやっていてもよく感じます。


今どきはゲーム機の高性能化が進み、グラフィックの向上が凄まじいです。


パッと見ただけじゃ現実なのかゲームなのか判別できないほどのものもあります。


(グランツーリスモ7、おもしろかったなあ)









こういうゲームをやるたびに


「こんな細かいところまでキレイに描画されてる!スゲー!」なんて感動してるんですが


やはり現実の情報量には敵わないわけです。


匂いも感触もありません。


そりゃあ、五感全てで感じるのと視覚だけで感じるのでは天と地の差があるのは当然です。



先生は保育園の園長もされているのですが、


半年に一度、子どもたちを山に連れて行って自由に遊ばせるそうです。


自然には大人が教えられることの何倍もの情報があるので、


子供は放っておけば勝手に学ぶ、と仰っていました。



このような先生のお話を聞いていると


自分でも「これは自然なことか?」と、何かにつけて自問するようになります。



最近の人間社会を見ていると、


すべてのことを人の手でコントロールしようとしているように見えます。


そして、いつの間にかそれが可能になったと思い込んでいるようにも見えます。


「自然」すらも。


ですが、その思い込みのせいで


何かアンコントローラブルなものが出てきたときに対処に困るんですね。



その最たる例が「災害」です。



はい。


ここに繋げようとしてるのが見え見えでしたよね。


もうちょっと巧妙な文章を書いてみたいもんです。



でもそうなんです。


「災害」、ひいては「自然」というのは、人の手ではコントロールできないんです。


できるようになることもないでしょう。



そう。


だから本心を言えば「防災」なんて本当の意味では不可能なんです。


災いは、起こってからじゃなきゃ対処できないんです。



防災グッズや防災知識というのは、災害が起きてから後出しで使うものなんです。


甚大な被害が出たあとに、それ以降の被害を少し減らせる程度。


じゃんけんでいえば、後出しじゃんけん。


でもただのじゃんけんではありません。


一発ぶん殴られてからのスタートです。



自然を殴り返すことはできません。



できるのはあくまでじゃんけんだけ。


それもしっかりと準備ができていて、瞬発力もあってようやく少し有利になる、という程度です。


理不尽ですよね。


道理に合わない。


でも、道理なんて人間が理性で作っただけのものです。


自然はそんなの知ったこっちゃなしです。



あれ?


なんか今日のブログ、説教臭くない?????


ヤダーーー!!!



まいっか。


強引に弊社の宣伝でもしとこう。



後出しじゃんけんの勝率を上げるのに、防災セットは必須です。


一家に1つ、では足りません。


一人に1つ用意してください。


4人家族なら4つ!



弊社の1人用防災セットには、簡易トイレが10回分入っています。










他社の多くは3回分だけ。


3回分なんて1日で使い切ってしまいます。


しかも、これを一家に1つしか用意していなかったら?


一人1回!


しかも1日で終り!


それ以降はどうするの!?


野原で!?!?!



10回分あれば、1日に3回使っても3日持ちます。


避難先に仮設トイレが1日で設置されると思いますか?


3日分持っておいて損はないですよね。



ということで弊社商品の宣伝でした。


ちなみに、Amazonや楽天市場で購入するより、


このサイトの「SHOP」のタブから飛べる公式ストアから購入していただくと


約10%ほどお安くお買い求めいただけますので


ぜひご検討ください!




とにかく!


「自然」というものを今一度再認識してほしいんです。


災害に関してだけではありません。


日常生活の全てにおいて、「自然」を意識すると


今までと違った見え方ができたり、


何かに悩んでいても、心がフッと軽くなったりします。



というか、養老孟司さんの動画や本を見てみてください。


「こんな考え方もあるのか…」と感心すると思います。



ブログってこういうことでいいんでしょうか?


まあ宣伝はしたし別にいいか!



ということでまた何か書きたいことがあったら書きます。



ありがとうございました!



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